今回は自分の話で申し訳ないのですが、
私と同じ経営者だった父について話したいと
思います。
父は新潟から上京し、電気工事の会社に就職し、
30代で独立しました。
仕事は至って真面目で、愚痴も言わずに
黙々と仕事をするタイプの人でした。
そんな父にも弱点があり、
お酒を飲むと豹変してしまうのです。
いわゆる酒乱というやつです。
毎晩のように飲み歩き、夜中にたこ焼きを
手土産に帰ってきては、家族を叩き起こし、
食べることを拒否すれば暴れまくる為、
家族の中では、"悪魔のたこ焼き" と呼んでいました。
日中の父とお酒を飲んだ時の父のギャップに
子供である私は怯えることしかできませんでした。
その後の生活を話せば長くなるので端折りますが、
父と母の関係も悪化。
母が蒸発したり、借金取りに私が誘拐されそうに
なるなど、今でこそ笑えますが、
なかなかハードな家庭で育ちました。。。(苦笑)
高校の時、ほとんど学校に通っていなかった私は、
よく父の仕事を手伝っていました。
そんな私に父は、「学校に行け」とは一度も言うことは
なく、逆に地方出張に同行させてくれるなど、
学生なのか、会社員なのか、わからないような
日々を送っていました。
過去に一度だけ
「お前が仕事を継いでくれたら嬉しいなぁ」
と呟いたこともありました。
その父の夢は残念ながら叶わず、バブルが弾け、
不良債権を沢山抱え、会社は倒産しました。
毎日飲み歩き、従業員だけではなく、同じお店に
いる人達にもご馳走してしまうような父だった為、
貯金0どころか借金生活。
倒産後の生活は悲惨なものでした。
経営者の油断と慢心で、家族だけではなく従業員や
そのご家族の人生までも狂わしてしまったのを
目の当たりにして、倒産の怖さを
高校生の私でさえ感じました。
今、自分自身はコールセンター事業で
父と同じく独立をしている訳ですが、
経営者になってわかったことは、
経営者にのしかかるプレッシャーは
生半可なものではないということ。
気の小さい父が毎日お酒に逃げてしまう気持ちが
少しだけ理解できたような気がします。
あの時、少しでも父の仕事のストレスを
理解してあげられる家族がいれば、
また違った家族のカタチにもなっていたのでは?
と、ふと思うときもあります。
そんな破天荒な父ですが、
学んだこともたくさんあります。
どんな無理難題の仕事であっても引き受け、
優先順位を的確に判断し、
根性と責任感で納期を絶対に守る。
その積み重ねがお取引先からの信頼を勝ち得て
いたことは身近で見ていても理解できました。
そして、その父の仕事に対する取り組み方が
今の私のベースになっているのは間違いありません。
そして、なんといっても普段からアンテナを
張り巡らし、あらゆる事に対してのリスクヘッジを
していかなければ
会社なんて簡単に倒産してしまうということを
学ばせてもらいました。
この経験を無駄にすることなく、私の家族を始め、
従業員ならびにそのご家族、
また仕事に関わる全ての人を笑顔にできるよう、
油断なくますます真面目に仕事に取り組んでいきたいと
決意しております。
天国にいる(天国に行けてるか心配。。。笑)
親父の分まで頑張らなきゃね!