今からご紹介する内容は、
親として恥ずかしいエピソードではありますが、
教育の難しさを共有したく、書くことにしました。
それは、数ヶ月前の話。
長女(高校3年)の友達2人が、家に遊びに来ました。
始めは、子供部屋で勉強していましたが、
私が買い物から戻ると、リビングで談笑している3人に遭遇。
直ぐ部屋に戻るように言うのも気が引けた為、
暫くキッチンで晩御飯の準備に取り掛かっていると、
目を疑うような品のない言葉の数々。
極めつけは、そのお友達が娘に向かって、
「キジマ」と呼び捨てしたり、「おまえ」と言ったり。
「あの~、親が目の前にいるんですよぉ~」
と言いたくて、うずうず。
このようなやり取りは、
中高生の中では当たり前なのかも知れない。
でも、もっと悲しかったのは、
自分の娘も友達を呼び捨てしていることでした。
何故なら以前、
私達夫婦が「さん」付けで呼び合っている理由が、
大事に育ててきた子供を目の前で呼び捨てにされたら、
親御さんは気分が悪くなるのではないだろうか?
という配慮から生まれた呼び方であることを
丁寧に説明したつもりになっていたからです。
また、周りの友達が
「おまえ」や「呼び捨て」等を使っていても、
あなた達(子供達)は、
「○○ちゃん」「○○くん」「○○さん」など、
丁寧に声掛けできるような人になってもらいたいと
お願いしていたから、
尚更、悲しかったのです。
この件を通し、誠心誠意、伝えたつもりでも、
受けて側の心には響かない現実を知りました。
スリーフラッグスの中でも
「耳タコ」の大事さを常に訴えていますが、
この件のように伝えたつもりで終わることなく、
耳にタコができるくらい、
大事なことは何度も何度も
伝えていくくらいで丁度良いのです。
後日談ですが、娘3人に改めて、
友達の呼び方は品良くしてほしいとお願いしてみましたが、
中学生の娘にも
「そんなの気にしてる友達なんかいないよ」
と鼻で笑われる始末。
私の考え方が古いのでしょうか。。。
昭和男認定のようです。
今は、「たかが呼び方」と思っている子供達が、
人の呼び方ひとつにその人の
「人間性」が現れることを知る時はくるのでしょうか。
いつか、子供達が気付いてくれることを願いつつ、
粘り強く、「耳タコ」で伝えていこうと思います。
あ~、子育ても職場の人材育成も本当に難しいですね(泣)